結婚したら同性婚をもっと支援したくなった

高砂

今年もおわりです。
今年は9月に結婚式をしました。

結婚式、とてもよかったです。親戚から同級生から、職場の上司まで、いろんな人がとにかく自分たちのために集まってくれて「おめでとう!」と言ってくれる。会場についた瞬間から「本日は、誠におめでとうございます!」と迎えてくれる。知りもしない、会ったこともない人が、だ。すごい。そんなことって人生であっただろうか。私はなかった。

twitterで結婚しますとつぶやいたら、あれよあれよというまにイイネが見たことないほど付くし、利用者層の年齢が上がっていった結果いつからか仕事用ツールになったフェイスブックに投稿した日には、仕事でどこの取引先に電話をかけても「おめでとうございます~!」と言われるようになった。超硬いメールでも、「p.s FB見ました!ご結婚おめでとうございます!お幸せに」と書いてある。すごい。なんだこれ。なにが起こってるんです?。

 

私がハッピーなことを説明せずとも皆知っている

人生でとてもハッピーなことというのはいろいろあります。たとえば昇進したとか、給料があがったとか、ネコ飼ったとか。すごくいいお気に入りのお家に引っ越しした、とかもそうかもしれないですね。でも、ネコを飼ったとしても、知らない人からいきなり「この度はおめでとうございます!」とはならないし、仕事で「聞きましたよ~ネコ飼ったんですって!?おめでとうございます~お幸せに!いやー幸せでしょう、今!」とは言われないでしょう。

たいてい、そこまで祝ってもらうには、自分から「いや~実は最近猫をね、念願の猫を飼いはじめましてね、エヘヘ、ほんとかわいくて、幸せです」と自分から説明しないといけません。説明したところで、そのひとにわかってもらえるかどうかはわからないし。相手が犬好きだったりしたら「そうですか、へ~。いいっすね」で終わってしまうこともあるはず。
でも結婚は違って、「いや~実は最近結婚をね、念願の結婚をしましてね、エヘヘ、ほんと主人かわいくて、幸せです」と申告しなくても私が幸せであることを知っているし、なぜ幸せなのかというと、結婚したからであることを知っている。

これってすごいことじゃないですか。
なんか、結婚って、どうやらそういうことらしいんですよ。

 

同性婚ができないことは権利の剥奪だ

でも、日本でいま家族になろうと考えている同性のパートナーは、婚姻届を提出して結婚することはできず、結婚式でさえ会場に断られてしまうことだってあります。
これまで私の身に起きた「スーパーおめでとう祭り」をもって考えると、こういったことは、祝福を受ける権利の剥奪なのでは?
ただ団体のルールに則って拒否しただけ、と思われるかもしれませんが、同性同士の結婚ができないこと、それは「おめでとう!」と祝ってもらえる機会を奪っていることなのではないか。と、結婚して思ったのです。

 

その関係性を認められない社会で本当にいいのか

そう考えると、ますます同性パートナーの結婚をどうしてずっと不可のままにしておくのか意味がわからなくなってきました。
同性婚を容認したら同性間の結婚が増えて出生率が下がる』とかぬかしているオッサン政治家には「明日から同性としか結婚・子作りできなくなったとしたら、あなたは男性を好きになって結婚するんですね?男性との間に子供をつくりたいと思うようになるんですね?」と聞きたくなります。
だって、法律がどうあろうと、人がだれを好きになり、だれをパートナーとするかまで定められるわけじゃありません。ましてや子供のことなんてもっとそうです。
すでに起こっていることなのに、なぜか「生産性がない」と自ら火に飛び込み大炎上した議員もいる。ちがう。ちがーーう!!

同性婚は"特権"を与えよう、もしくは与えてほしい、と訴えているのではなくて、現時点が同性パートナーの人たちにとっては権利の侵害だから、異性同士の結婚と"同じ取扱"にするべきだ、と言っているのです。

というのが、どういうわけか、結婚してよくわかったというのは、なんだか皮肉です。

すべてのカップルが自分たちらしくいられますように。